大正7年8月3日 島根県邑智郡粕淵町にて、石橋賢吉・タツ夫婦の次女として生まれる。と、戸籍にはあるが、実際には賢吉の妹キサのいる山口県宇部市で7月27日に生まれたようで、米騒動と炭坑のストライキが吹き荒れる騒然とした街の中を幼子を抱えて父賢吉は右往左往したそうである。
昭和9年頃 島根県の高等小学校を卒業して、叔母石橋キサをたよって山口県宇部市に来る。現慶進高校の宇部学園に通わせてもらう。
十代後半 肋膜炎を煩い、島根県川本町の病院にて加療入院 初恋の人H氏と出会う。
石橋キサ経営の割烹『一福』を手伝い始める。
昭和13年頃 失恋と陵辱とに悩み、絶望の末、韓国、大陸へと家出するも、釜山にて父に発見され連れ帰られる。
昭和18年 F.K氏と結婚 石橋キサさんと親子3人と昭和20年1月16日 長女出産
昭和23年12月18日 長男出産
昭和31年 F.K氏の浮気と仕事上の不正に悩み、離婚を決意。二人の子とともに石橋キサの養女となる。
昭和36年頃 後の半生の伴侶となったT.M氏と知り合う。彼の方には妻子がいたが、以後死ぬまで両方を行ったり来たりした。
昭和39年 元夫のF.K氏、東京にて交通事故で死亡。
昭和42年 長女結婚昭和42年 石橋キサさん死去。『一福』をたたみ、ホテル『湖水苑』を開業。初孫誕生 長男大学入学するも2年で中退、出奔。5年間行方知れず。
昭和48年 長男帰宅 二人目の孫生まれる。
昭和53年 長女離婚。ホテル『湖水苑』を廃業し、市へ売却後、宇部市西岐波へ居を構える。
昭和60年 孫伸治が結婚 ひ孫も生まれる。
昭和62年 軽い脳梗塞により2週間ほど中央病院に入院
平成元年 長年一緒に暮らしたT.M氏が仕事中の事故により急死。強い喪失感に苛まれる。
平成7年 トイレで大量出血し、中央病院で子宮内膜ガン中期と診断される。手術により子宮及び片腎臓を摘出する。
平成17年1月18日 夜10時頃 急性心筋梗塞により死亡。ガンの転移を免れて手術後10年は生き延びたが、糖尿病により合併症がいたるところで進行していたようだ。享年86歳